旅路

いつも何が書きたいのかわからず、とりあえずPCに向かって思いついたことをただひたすらに書き連ねているという作業をしています。

 

 

これってブログというよりはただの日本語を羅列する作業だなと思いながら、ブログ開設から3日目についに更新が途絶えました。

 

 

 

これが三日坊主というやつですね。

 

 

 

特に何も考えていなかったのですが、こんなにも簡単に、本能的に三日坊主になるということを経験できて、わたしはある意味感動しています。

 

 

 

意外にもこのアラサーOLの闇ブログを読みたいと言ってくれる方もいて、これからも日々淡々と闇を綴っていこうと思います。

 

 

 

今まで意外と自分の心の闇を外に出すということをあまりされない人が多かったのではと感じています。

 

 

 

SNSの普及により、人は綺麗なところが見たいし、綺麗なところを見せたいという人間本来が持っている承認欲求の高まりを感じています。

 

 

 

それとは逆に、今まで見れなかった人の闇の部分が暴かれたり、闇を知りたいというニーズも一定数あるのではないでしょうか。

 

 

 

現代人は情報化社会とともに器用に、綺麗に生きることができるようになったのだと感じます。

本質的に綺麗かというとそうではなく、あくまでも綺麗に見せかけることは可能になったという言い方のほうが正しいでしょうか。

 

 

 

 

話は変わりますが、

半年ほど音声アプリで配信をしていました。

(過去形になっているけど、今もしていますが)

 

 

 

 

その時に感じました。

若くて声がかわいい、手が届きそうな女性か経験豊富でエンタメに振り切っている親しみやすい女性のほぼ二択だなと。

(わたしの観測範囲内の話です。間違っているかもしれません)

 

 

 

 

わたしは初めは前者、途中から後者を意識して配信してきたつもりでした(あくまでつもり…)

が、「自分は何をやっているんだろう」とアイデンティティクライシス(喪失)に陥りました。

もしかしたら今もまだ陥っているかもしれません。

 

 

 

 

誰かのニーズにこたえなければ、わたしが今ここにいる意味がないのではないか。

 

 

 

 

 

そんなことを常に思っていました。まじめですね。

なので、たまに不安に襲われそうになりながら、配信を続けました。

 

 

 

 

なぜそこまでして配信し続けるか?

 

 

 

 

なんででしょうね。

強いて言えば、わたしという存在をどこかに残したかったからでしょうか。

 

 

 

 

これもまた承認欲求というものなのかもしれないです。

 

 

 

 

わたしは"わたしが認める人”に承認してもらいたい欲求が強いです。

 

 

 

 

これを一般的には選民意識と言うのかもしれません。

 

 

 

 

わたしが認める人。これが枕言葉につくことでさらに闇を感じませんか。

 

 

 

 

ただみんなに注目されたいとSNSで発信を頑張る人たちが健気に見えませんか。

 

 

 

 

それが本来の承認欲求だと思います。

 

 

 

 

その正しい承認欲求がまぶしい。わたしも本来の意味の承認欲求がほしかった。

 

 

 

 

こんなにこじらせたくはなかった。

でもこれが他人と一味違う、わたしなんでしょうね。

 

 

 

 

そんな自分の探しの旅をしている最中なのかもしれません。

 

 

 

 

よく大学生の時に自分探しと言うことをよく耳にしました。

 

 

 

 

結局自分というものは長い人生の中で移り変わるもので、一時的に自分の探しの旅をしても大した自分なんて見つからない。何かをするという活動を通して自分というものが構築されていき、結果自我が確立されていく。

だから自分探しの旅は無意味だと言う人がいました。

 

 

 

 

なので自分探しの旅だと言うのは少し憚れますが、わたしは音声アプリの配信を通して自我を確立しようと思っているのかもしれませんね。

 

 

 

 

そう思うと少し納得しませんか?

配信を聞いてくださっている方々。

 

 

 

 

そんな皆さんが少し腑に落ちたところで、本日はこのあたりで終わらせていただきます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。