コミュニケーションの悩みは永遠に
一緒に旅行に行った、気になる彼のTwitter。
もう見ても意味ないのにと思いながら、ちょくちょく覗いてしまいます。
元気そうに活動している報告を見て少し落ち込んだり、あるいは「これ私のことでは?」と思う記述があったりするとまた気になったり、そういった感情の波が起こってしまうことをわかっていながら、Twitterに張り付いてしまう私。
リアルの生活を充実させよう、自分磨きをして男に泣かされない女になろうと何度決意しても、たまにふと虚しくなる瞬間が来ます。
私は何をやっているんだろう?って。
今日は久しぶりに病院に行きます。
その後、家族で外食へ。
髪を巻いておしゃれをして、街に出る。
一緒に居てくれる人がいる。
現代社会だとこれは幸せなこと、恵まれたことになるのかもしれません。
でも私はこれだけじゃ満足できない。
いや、でもこれでも十分恵まれている、幸せだと噛み締める練習をそろそろしたほうがいいのかもしれません。
私の幸せのレベルが高すぎる。
それが私自身を苦しめていることはずっと気づいています。
ずっと満足できない。
今の私に、今の状況に。
置かれた場所で咲きなさい。という本が流行ったとき、私は言われました。
「あなたの置かれている状況はすごく恵まれているんだよ」って。
よくわからないですが、幸せを数値化して判断できる人なんているのでしょうか。
どの指標で言っていますか。根拠は?数字は?
こういうとたいてい嫌われます。
だから私は笑顔で「そうなんですね」と返します。
それしか言えないですよね。
こういった受け手の気遣いが必要なコミュニケーションは必要なんでしょうか。
これをコミュニケーションと定義しているのは、言った側ですよね?
だから私はコミュニケーションが苦手なのかもしれません。
一生の課題になるでしょう。
死ぬまで私はコミュニケーションに向き合い、傷ついていくんだろうなと思っています。
逆もあると思っていて。
私が放った言葉で傷つく人もいる。
コミュニケーションの悩みは永遠ですね。
だから私は「コミュニケーション能力があります!」と言う人を信用できないんでしょうね。
何が言いたいかもわからなくなってしまったので、ここらへんで終わります。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。
ちなみに私は国語が苦手です。
なので、語彙力が足りていないところや口語的表現を使っているところなど色々とボロが出てるかと思いますが、とりあえず続けることが優先だと思っているので、よろしくお願いいたします。