感謝。

最近感謝することが多くて、わたしの人生史上一番感謝の気持ちを持っているんではないでしょうか。

 

 

 

 

 

ここ2~3年、職場が不遇だったのか。わたしが未熟だったのか。

 

 

 

 

 

どっちもでしょうね。

 

 

 

 

 

東京で働いていた時は会社で嫌なことばかりあって、最後は働くのさえ嫌になって実家に帰りました。

 

 

 

 

 

働かねば。そう思えば思うほど前の職場を思い出して、不安になって怖くなって。

 

 

 

 

 

またあの苦しい思いをしなければいけないのか。

 

 

 

 

 

そんなことを思うと、働けなくなっていました。

 

 

 

 

 

会社や組織というものにさえ、過敏に嫌悪感を抱き、もう会社員は無理なのでは?と。

 

 

 

 

 

前職を辞めてから、約半年間。ずっとその繰り返しでしたね。

 

 

 

 

 

自分から働くという選択肢を選び、仕事自体は嫌いではなかったのに…

 

 

 

 

 

いつからか仕事が大嫌いになっていました。

 

 

 

 

 

そう言うと、「仕事なんて楽しくないよ」「生活するために仕方なく働いているんだ」と言ってくる人もいました。

 

 

 

 

 

そういった価値観をわたしは否定するつもりはないですが、かつてのわたしは仕事が好きだったのです。

 

 

 

 

 

昔好きだった仕事。こんなわたしでも何かができるようになったり、誰かの役に立ったり、そういう些細な事でも仕事って楽しいなと少しでも感じたあの頃にわたしはもう戻れないのか。

 

 

 

 

 

そう思うと今まで頑張ってきたわたしって何だったんだろう。

 

 

 

 

 

虚無感にすごく襲われていました。

 

 

 

 

 

またきっと次の職場でも同じようなことが起こり、同じ気持ちになるだろう。

 

 

 

 

 

 

そう思っていました。

 

 

 

 

 

 

でも、実際はそうではなかった。

 

 

 

 

 

社長や上司がわたしの話に耳を傾けてくれて、わたしがやりたいことを実現できるように協力してくれる。そんな優しい職場でした。

 

 

 

 

 

今までのことは本当になんだったんだろうって。

 

 

 

 

 

もしかしたら今だけかもしれない。

 

 

 

 

 

それでも、会社や働いている人たちに感謝をし、こんなにも協力してくれる会社や人のために頑張って働こうかなと、そんなことを思ったのは初めてかもしれません。

 

 

 

 

 

前職を辞めてから思い悩んだ半年間。

 

 

 

 

 

それは無駄ではなかったんでしょうね。

 

 

 

 

 

あの頃、もうわたしは変われないと思っていました。

 

 

 

 

 

やる気や生きるモチベーションすべてを失って、もうどうでもいいやと自暴自棄になっていたあの頃。

 

 

 

 

 

こんな風に前向きに考え、行動できるようになるとは思いもよりませんでした。

 

 

 

 

 

 

人との出会い。小さなきっかけ。少しの勇気。

 

 

 

 

 

 

それらがうまく嚙み合って、今ここに居られるのだとそう思います。

 

 

 

 

 

 

それを支えてくれた人たち。まだ立ち直れないわたしを見捨てないで見守ってくれた人たち。

 

 

 

 

 

 

色々な出会いやきっかけ、行動があって、今のわたしが出来上がっているのだと思うと人生何があるのか本当にわかりませんね。

 

 

 

 

 

照れくさくてこんなことは普段言えないわたしですが、関わってくれた人たちへ。

 

 

 

 

 

「ありがとう」

 

 

 

 

 

そんな感謝の言葉で締めたいと思います。

 

 

 

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

これからもよろしくお願いします。

初出社日

半年ぶりの仕事復帰でした。

 

 

 

 

長い大人の夏休みを終え、ついに働くのかとしばし感傷に浸っていました。

 

 

 

 

今回は東京でコンサルから一転、京都でWebディレクターをするということで今までとは環境も職種も違って、新鮮でした。

 

 

 

 

色々怖がっていたことも案外ここでは大丈夫かなという気持ちとここで気を緩ますべきではないという気持ち、どちらもあり、拮抗しています。

 

 

 

 

心配していた職場環境、主に人間関係ですが、今のところ大きな懸念はなさそうです。

後々出てくるかもしれませんが…

 

 

 

 

職場の方々が温かく迎えてくれたのと自分でも気さくさを少し頑張ってみました。

 

 

 

 

 

今まで自分ではわからなかったのですが、わたしは良くも悪くも目立ってしまうようです。

 

 

 

 

外見的にも性格的にも。

 

 

 

 

その事を職業訓練校で学びました。

 

 

 

 

今までなんかおかしいなという感覚はあったのですが、その正体がわからず、ずっともやもやしていました。

 

 

 

 

 

まず外見。決して美人ではない。でも服装やメイク、髪型が派手だと指摘されました。

 

 

 

 

 

15歳からわたしはずっとこれでした。

学生時代は似たような人が周りにいたからでしょうか。

 

 

 

 

 

確かに今のナチュラル、カジュアルなトレンドからはわたしはズレています。

 

 

 

 

 

どこか行くの?みたいなワンピースを普通に仕事や何も予定なくても着てしまうのがわたしです。

 

 

 

 

 

普通はデートやレストランに行く時にしかあまり着ないんですね…

 

 

 

 

 

その感覚がズレていました。

 

 

 

 

 

それでも、わたしは外見変えたくない。

自分が手に取った洋服を着て、自分が納得するメイクや髪型をしたい。

 

 

 

 

 

そこが自分の中のこだわりなのかもしれないです。

だから、かつて制服がある会社は断ったことあります。

 

 

 

 

 

取引先に行くなど理由があればTPOに合わせた格好をしますが、女性だけ制服着用は納得できないと、内定もらった会社には「制服のサイズが合わない体形なので、制服着用必須でしたら入社は難しいです」とエージェントに連絡してもらったことがあります(難しい体形なのは噓ではない)

 

 

 

 

そこを妥協できないからこそ、ほかのところで補填・挽回しないといけないと思いました。

 

 

 

 

だから、今回は外見による勘違いされやすいところを先に伝えていくことを頑張っています。

 

 

 

 

わたしはそんな外見しつつ、本当は眼鏡をかけて教室の隅で本を読んでいるような大人しい文学系女子だということを。

 

 

 

 

前職で東京、コンサルというと謎のキラキラ感が出てしまうので、極力自分からは話さない、話題に出てきた時は東京はつらかったと本音を言うことでお高くとまっていない感じを伝えていっています(あながち嘘ではない)

 

 

 

 

これが正しいのかわかりませんが、いったんこんな感じで様子を見つつ、うまくいかなくなったらやり方を改めていこうと思います。

 

 

 

 

 

人間が第一印象で持つイメージを覆すは難しい。

 

 

 

 

 

それでも、人間は多面的な生き物なので、お互いの関係性が深まるにつれて、相手のことが新たな一面が見てくる。

 

 

 

 

 

そのような長期的に、本質的な関係性を築けるようになることがわたしの今後の目標なのかもしれません。

 

 

 

 

就職に関しても、恋愛に関しても、音声アプリでの配信でも色んな人に心配されつつ、そうやって心配されるというのも恵まれているのかなと最近感じるようになりました。

 

 

 

 

何か有益な情報があるわけでもなく、若い女性のようなかわいげもなく、自分のことや闇を垂れ流している配信しかしていないですが、聞いてくれる方、心配してくれる方、相談に乗ってくれる方、ふざけてくれる方。

色々なタイプの方々に支えられて、今のわたしがいるのかもしれません。

 

 

 

 

安易に、「ありがとう」なんて言わない。

それがわたしだと思うので、感謝の気持ちを胸に日々成長していこうと思いました。

 

 

 

 

 

ついに一人になってしまった、孤独だ。

というのは本音ではあるのですが、意外とわたしは一人ではないのかなと。

(でも、ただのかまってちゃんになっていないかと思う節もあります…反省)

 

 

 

 

(それでも、やっぱり男は欲しい…話のネタがない…幸せにもなりたい…男がいない方が安定するけど…)

 

 

 

 

 

わたしと関わってくれる人たちに感謝しつつ、わたしも頑張りますのでみなさんも頑張りましょう(無理せず)

 

 

 

 

本日はここまでで。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

真理

今日は男の話をします。

 

 

 

え?いつも男の話ばかり音声アプリで配信しているじゃないか。

 

 

 

そう言うリスナーの声が聞こえてきそうです。

 

 

 

わたしは今、男についての真理に気づいてしまいました。

 

 

 

 

女子校育ちで恋愛経験少なめのアラサーのたわごとだと思って、ここからは聞いてくださいね。

 

 

 

 

結局一番幸せに感じる恋愛って、顔が良くて女性経験が豊富な男の本命になることではないかと。

 

 

 

 

そんなことをふと思ってしまいました。

 

 

 

 

どういうことか?

 

 

 

 

もちろん恋愛における幸せの定義は人それぞれあるということは前提としてあります。

 

 

 

 

その中で一番わかりやすく恋愛で幸せを感じやすいのは?という問いに対しての最適解を導いてしまいました。

 

 

 

 

顔が良い…そこの点は自分が好みの容姿に置き換えてください。

 

 

 

 

一般的に良い容姿という意味もありますが、人によっては声がすごく好きとか一重の目が好きとか筋肉の付き方など身体が好きといった個人の好みが強くあると思います。

 

 

 

 

とりあえずこの容姿だったら、多少の粗相をされても許せちゃう…そのレベル感です。

 

 

 

 

男がよく言う、かわいい子が何しても許せるというやつです(くそが)

 

 

 

 

女性は男性ほど容姿重視ではない人が多いとわたしは思っているのですが、どうでしょうか?

 

 

 

だからこその容姿です。

 

 

 

 

その上で、恋愛経験豊富なのです。

 

 

 

 

この男に女性は何人泣かされてきたことか。

 

 

 

 

そんな男性と付き合うと泣かされてしまうので本来は負のルート行きですが、例えばもう遊び終わったとか真面目に付き合おうと思う時期に出会った場合は状況が異なります。

 

 

 

 

そんな女性経験豊富な男性だと女性側は一緒にいて楽です。

女性の扱いがわかっているからとほかの女性関係で泣かされるという心配がないからです。

 

 

 

 

そんな夢のような話を女性は求めているのではないでしょうか。

 

 

 

 

一般的な男性というと失礼にあたるかもしれませんが、そういう方は基本的に誠実な性格だと思います。

男性と女性、脳の違いからか完全には分かり合えません。

なので、ある程度女性とお付き合いした経験がある男性でも、粗は出てしまいます。

 

 

 

 

女性は男性に求めるハードルが高いのです。

自分を棚に上げて(自戒)

 

 

 

 

女性はそういった男性を優しい、誠実とは初め認識しますが、だんだん物足りなくなってきます。

 

 

 

 

つまり、こういうことです。

 

 

 

 

刺激がほしい。

 

 

 

 

刺激を求めて、外へ男を狩りにいくのです。

 

 

 

 

これが現代の恋愛です。

 

 

 

 

わたしは何を言っているのでしょうか。

 

 

 

 

自分の好感度は大丈夫でしょうか。

 

 

 

 

色々と心配になってきましたが、こんなことで下がる好感度なら捨ててしまえのごとく、わたしは今皆さんに真実、真理をお伝えしたいのです。

 

 

 

 

身を削ってまで。

 

 

 

 

話を戻しますと、一番幸せに感じる恋愛は顔が良くて女性経験が豊富な男の本命になる。

これは人の感じ方によるのではないかという話です。

 

 

 

 

わたしは決して、顔が良くて女性の扱いうまい男が良いよねといった単純な話がしたいのではありません。

 

 

 

 

人の幸せへの感度はもちろん人それぞれだと思います。

 

 

 

 

その中で、幸せへの感度が低いと自他ともに認めるわたしが導いた結論としては、女性が男性に幸せを感じやすいのは、自分好みの容姿と自分への女性としての丁寧な扱いではないかと。

 

 

 

 

だから何なんだ。

そういう声が聞こえてきそうです。

 

 

 

 

これはあくまで、恋愛といった枠組みの中の話です。

 

 

 

 

これはわたしの持論ですが、友情の先に恋愛、恋愛の先に結婚(事実婚などパートナーも含む)があり、その道のりの中で恋愛ゾーンの中で一度は経験したからこそ、結婚というステージへ登れるのではないかと。

 

 

 

 

 

結婚は恋愛とはまた違う要素が必要になります。

 

 

 

 

恋愛の状態のままではいられないのでないでしょうか。

 

 

 

 

結婚生活を送り続けるとなると、男女より人間性が問われるからです。

 

 

 

そこに容姿や女性経験は必要ないのです。

 

 

 

 

そんなことよりももっと必要なことがある。

 

 

 

 

物事をちゃんと話し合えること、生活を一緒に営めること。

 

 

 

 

これを包容力、生活力というのでしょうか。

 

 

 

 

そこに進むため、自分本位な幸せは恋愛の時点で終わらせておく。

 

 

 

 

そういった戦略が必要だったのかと。

戦略家のわたしは思いました。

 

 

 

わたしの場合は本能的でした。

 

 

 

 

このまま安全安心の恋愛の延長で結婚してもいいのだろうか。

 

 

 

 

 

・・・。

 

 

 

 

もっと遊びたい!!!!!!!!!

 

 

 

 

わたしは未来のわたしが後悔しないように色んな男性を見ておきたかったのかもしれません。

 

 

 

 

これはうまく言っているわけではありません。

マジよりの本気です。その当時のわたしは。

 

 

 

 

結婚した後に不倫するという品がない人間になりたくないからです。

 

 

 

 

わたしは元々は好奇心が旺盛な人間です。

 

 

 

 

そんなわたしが我慢できると思いますか?

 

 

 

 

いや、我慢よりそんな品がないことは自分自身が許せないのですが。

(他人がしていても何も思いません。ご自由に)

 

 

 

 

また、わたしはほぼずっと女子ばかりの環境にいたため、男に泣かされる女の子をいっぱい見てきました。

 

 

 

そのたびに思っていました。

 

 

 

 

わたしは男に泣かされない女性になろうと。

 

 

 

 

むしろ男を手玉に取れるぐらいに、自分勝手に生きようと。

 

 

 

 

ん?最近泣かされていなかった?

 

 

 

 

そう思う人もいるかもしれません。

 

 

 

 

でも、わたしは本質的には泣かされていません。

 

 

 

 

だって、失ったものはないもの。

 

 

 

 

得たことしかないです。

 

 

 

 

なので、こうやってブログのネタになってます。

 

 

 

 

なんて生産的なんでしょうか。

 

 

 

 

そろそろ怒られそうなので、やめますね。

 

 

 

 

わたしは男をもてあそびたいと思っていたし、一応遊ばれたことはないと自負しています。

 

 

 

男のもてあそび方をもっと若いときに培えていれば…

 

 

 

 

わたしがアラサーまで独身なはずはなかった…

 

 

 

 

でも、今まで深く関わってくれた男性はみんなわたしに対して優しかったと思いますし、様々な知恵を授けてくれ、サポートやフォローしてくれていたと思います。

 

 

 

 

振り返ると、わたしの男を見る目は正しかったのかもしれません。

ただ相手にしがみついて彼らと同じペース、いやその数倍ペースで成長することができなかった、ひとえにわたしの力量不足だと思います。

 

 

 

 

ずっと背伸びをしていました。彼らの能力にあこがれ、自分も手にしたいと。

 

 

 

 

そのために女の武器を使っていたのかもしれません。無意識に。

 

 

 

 

しかし、彼らがわたしのポテンシャルに期待してくれたのに、わたしはそれに応え続けられなかった。

 

 

 

 

まだ時間的猶予はくれていたのに、自分から辛くなってドロップアウトしてしまった。

 

 

 

 

本日はわたしの懺悔ブログです。

 

 

 

 

わたしは今まで男から知識や知恵など恩恵をあずかり、それを生かして、今やっと一人で、自分の力でぎりぎり立てるようになりました。

 

 

 

 

これからは男に委縮することなく、自分の道を進んでいけるように。

そんな決意とともに本日はこのあたりで終わらせていただきます。

 

 

 

 

一番長い記事になりました。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

旅路

いつも何が書きたいのかわからず、とりあえずPCに向かって思いついたことをただひたすらに書き連ねているという作業をしています。

 

 

これってブログというよりはただの日本語を羅列する作業だなと思いながら、ブログ開設から3日目についに更新が途絶えました。

 

 

 

これが三日坊主というやつですね。

 

 

 

特に何も考えていなかったのですが、こんなにも簡単に、本能的に三日坊主になるということを経験できて、わたしはある意味感動しています。

 

 

 

意外にもこのアラサーOLの闇ブログを読みたいと言ってくれる方もいて、これからも日々淡々と闇を綴っていこうと思います。

 

 

 

今まで意外と自分の心の闇を外に出すということをあまりされない人が多かったのではと感じています。

 

 

 

SNSの普及により、人は綺麗なところが見たいし、綺麗なところを見せたいという人間本来が持っている承認欲求の高まりを感じています。

 

 

 

それとは逆に、今まで見れなかった人の闇の部分が暴かれたり、闇を知りたいというニーズも一定数あるのではないでしょうか。

 

 

 

現代人は情報化社会とともに器用に、綺麗に生きることができるようになったのだと感じます。

本質的に綺麗かというとそうではなく、あくまでも綺麗に見せかけることは可能になったという言い方のほうが正しいでしょうか。

 

 

 

 

話は変わりますが、

半年ほど音声アプリで配信をしていました。

(過去形になっているけど、今もしていますが)

 

 

 

 

その時に感じました。

若くて声がかわいい、手が届きそうな女性か経験豊富でエンタメに振り切っている親しみやすい女性のほぼ二択だなと。

(わたしの観測範囲内の話です。間違っているかもしれません)

 

 

 

 

わたしは初めは前者、途中から後者を意識して配信してきたつもりでした(あくまでつもり…)

が、「自分は何をやっているんだろう」とアイデンティティクライシス(喪失)に陥りました。

もしかしたら今もまだ陥っているかもしれません。

 

 

 

 

誰かのニーズにこたえなければ、わたしが今ここにいる意味がないのではないか。

 

 

 

 

 

そんなことを常に思っていました。まじめですね。

なので、たまに不安に襲われそうになりながら、配信を続けました。

 

 

 

 

なぜそこまでして配信し続けるか?

 

 

 

 

なんででしょうね。

強いて言えば、わたしという存在をどこかに残したかったからでしょうか。

 

 

 

 

これもまた承認欲求というものなのかもしれないです。

 

 

 

 

わたしは"わたしが認める人”に承認してもらいたい欲求が強いです。

 

 

 

 

これを一般的には選民意識と言うのかもしれません。

 

 

 

 

わたしが認める人。これが枕言葉につくことでさらに闇を感じませんか。

 

 

 

 

ただみんなに注目されたいとSNSで発信を頑張る人たちが健気に見えませんか。

 

 

 

 

それが本来の承認欲求だと思います。

 

 

 

 

その正しい承認欲求がまぶしい。わたしも本来の意味の承認欲求がほしかった。

 

 

 

 

こんなにこじらせたくはなかった。

でもこれが他人と一味違う、わたしなんでしょうね。

 

 

 

 

そんな自分の探しの旅をしている最中なのかもしれません。

 

 

 

 

よく大学生の時に自分探しと言うことをよく耳にしました。

 

 

 

 

結局自分というものは長い人生の中で移り変わるもので、一時的に自分の探しの旅をしても大した自分なんて見つからない。何かをするという活動を通して自分というものが構築されていき、結果自我が確立されていく。

だから自分探しの旅は無意味だと言う人がいました。

 

 

 

 

なので自分探しの旅だと言うのは少し憚れますが、わたしは音声アプリの配信を通して自我を確立しようと思っているのかもしれませんね。

 

 

 

 

そう思うと少し納得しませんか?

配信を聞いてくださっている方々。

 

 

 

 

そんな皆さんが少し腑に落ちたところで、本日はこのあたりで終わらせていただきます。

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

コミュニケーションの悩みは永遠に

一緒に旅行に行った、気になる彼のTwitter

 

 

もう見ても意味ないのにと思いながら、ちょくちょく覗いてしまいます。

 

 

元気そうに活動している報告を見て少し落ち込んだり、あるいは「これ私のことでは?」と思う記述があったりするとまた気になったり、そういった感情の波が起こってしまうことをわかっていながら、Twitterに張り付いてしまう私。

 

 

リアルの生活を充実させよう、自分磨きをして男に泣かされない女になろうと何度決意しても、たまにふと虚しくなる瞬間が来ます。

 

 

 

私は何をやっているんだろう?って。

 

 

 

今日は久しぶりに病院に行きます。

その後、家族で外食へ。

 

 

 

髪を巻いておしゃれをして、街に出る。

一緒に居てくれる人がいる。

 

 

 

現代社会だとこれは幸せなこと、恵まれたことになるのかもしれません。

 

 

 

でも私はこれだけじゃ満足できない。

 

 

 

いや、でもこれでも十分恵まれている、幸せだと噛み締める練習をそろそろしたほうがいいのかもしれません。

 

 

 

私の幸せのレベルが高すぎる。

 

 

 

それが私自身を苦しめていることはずっと気づいています。

 

 

 

ずっと満足できない。

今の私に、今の状況に。

 

 

 

置かれた場所で咲きなさい。という本が流行ったとき、私は言われました。

 

 

 

「あなたの置かれている状況はすごく恵まれているんだよ」って。

 

 

 

それは相対評価なんでしょうか。絶対評価なのですか。

 

 

 

よくわからないですが、幸せを数値化して判断できる人なんているのでしょうか。

 

 

 

どの指標で言っていますか。根拠は?数字は?

 

 

 

こういうとたいてい嫌われます。

 

 

 

だから私は笑顔で「そうなんですね」と返します。

 

 

 

それしか言えないですよね。

 

 

 

こういった受け手の気遣いが必要なコミュニケーションは必要なんでしょうか。

 

 

 

これをコミュニケーションと定義しているのは、言った側ですよね?

 

 

 

だから私はコミュニケーションが苦手なのかもしれません。

 

 

一生の課題になるでしょう。

 

 

死ぬまで私はコミュニケーションに向き合い、傷ついていくんだろうなと思っています。

 

 

 

逆もあると思っていて。

 

 

 

私が放った言葉で傷つく人もいる。

 

 

 

コミュニケーションの悩みは永遠ですね。

 

 

 

だから私は「コミュニケーション能力があります!」と言う人を信用できないんでしょうね。

 

 

 

何が言いたいかもわからなくなってしまったので、ここらへんで終わります。

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

ちなみに私は国語が苦手です。

 

 

 

なので、語彙力が足りていないところや口語的表現を使っているところなど色々とボロが出てるかと思いますが、とりあえず続けることが優先だと思っているので、よろしくお願いいたします。

 

 

社会派ブログになってしまう。

人は何を求めてブログを読むんでしょうか。

 

 

それを知りたくて、ブログを始めてみました。

 

 

正直、正しいブログの書き方もわかりません。

SNSやブログ等があふれているこのご時世、わたしはあまり関与せずにここまで来てしまいました。

 

 

わたしは今、ネット社会に追いつきたいのかもしれません。

 

 

なぜ?と言われてもよくわかりません。

強いて言えば、わたしが興味もないのにWeb業界に足を踏み入れてしまったからかもしれません。

 

 

なにを書けばいいのか?

 

 

それすらも何もなく、ただ書きなぐっている最中です。

 

 

ちゃんと何を書けばいいのか、誰に読んでもらいたいのか。

そういったことを考えながら、独りよがりにならずにブログを書くものなのかもしれません。

 

 

ネタやコンテンツを考えて書こうとブログを開設する直前までは思っていました。

 

 

でも、何か生み出そうと考えるたび、ブログに向き合うのが億劫になっている自分がいました。

 

 

ちゃんとやらないとと思ってしまう時点で、わたしは損な性格をしているなと気づいてしまいました。

 

 

本当に自分のために行うこと。

他人の目を意識せず、注目を浴びたい等という承認欲求をも持たず、ただただ自分本位で何か物事を行うことの何と尊い事だろうか。

 

 

 

文章の起承転結や話の落ちも意識せず、わたしは今どこに向かいたいかもわからず、ただ最近買ったばかりのゲーミングPC(ゲームしないのに…この話はまた追々に)と向かい合って、0:00を少し回ったこの深夜に、わたしはキーボードをカタカタ打っている。

 

 

 

このどこに行くかもわからない旅路を楽しめないと人生は楽しくならないのかもしれない。

そんなことをふと思いながら、今回はここで終わらせていただきます。

 

 

 

とりとめもない文章を読んでいただき、ありがとうございました。